Madonna(マドンナ)
マドンナ (Madonna 本名:Madonna Louise Ciccone(マドンナ・ルイーズ・チッコーネ)、1958年8月16日-)は、アメリカ合衆国ミシガン州出身のシンガーソングライター、女優、映画監督、文筆家、実業家。愛称は代表曲から来た「マテリアル・ガール(Material Girl)」、近年では「ポップスの女王」とも言われる。2008年には、ロックの殿堂入りを果たしている。
80年代初頭のニューヨークのダンスクラブ・シーンに登場し、1984年の大ヒット曲「ライク・ア・ヴァージン」を機にポピュラー音楽のチャートで成功を収め、その大胆で挑発的なイメージで一躍世界的なメガスターになる。アルバムの代表作に『トゥルー・ブルー』、『ライク・ア・プレイヤー』、『レイ・オブ・ライト』などがあり、シングルの代表作に「ホリディ」、「クレージー・フォー・ユー」、「ヴォーグ」、「ミュージック」、「ハング・アップ」など多数がある。
MTVの登場により人気を得たミュージック・ビデオを巧みに活用しながらポップアートと音楽を融合し、日本では「Madonna(マドンナ)旋風」とも呼ばれた現象的な成功を収める。セックス・シンボルとして不動の位置を固めるが、その後多様なイメージの変遷を繰り返し現在に至る。彼女の活動は音楽にだけに止まらず、レコード会社の設立、映画や舞台への出演、そして近年では児童書の執筆や映画監督なども行っている。2000年の『ギネスブック』では「史上最も成功した女性アーテイスト」とも記録された
1958年8月16日、母の実家のあるアメリカ合衆国ミシガン州ベイシティ(Bay City)マーシー病院で、8人兄妹の3番目に出生。1987年ごろまで1961年生まれということにしていたが、1989年発売のCD『ライク・ア・プレイヤー』のライナーには1958年生まれとはっきり記載があるため、この頃までに元に戻したと思われる。
父はイタリア系シルビオ・チッコーネ、母はフランス系マドンナ・ルイーズ・チッコーネ(母と同名)。幼少期を、同州ポンティアック市(Pontiac)で過ごし、後に家族が増えたため、同州ローチェスターヒル市(Rochester Hills)へ転居した。
父は、GMのデザインエンジニア。実母はMadonna(マドンナ)が6歳の時乳癌で逝去し、父はほどなく再婚した。母の死や後の父・継母との確執は彼女の精神性に大きな影響を及ぼし、「Promise To Try」「Oh Father オー・ファーザー」などの楽曲で歌われている。弟や妹の面倒もよく見ていた。そんな中でも、多くの習い事を幼い頃からしており、最初はピアノを習っていたが、父親に「バレエを習いたい」と懇願し、変えてもらう。その後、モダンダンス、ジャズダンスなど、ダンスを多く習い始める。
1977年、35ドルを手にグレイハウンドの長距離バスで郷里を後にニューヨークへ出発した。ニューヨーク到着後、タクシーの運転手に「この街で一番大きな場所へ行って!」と言い、タイムズスクウェアで降りたのは有名な話。なおベジタリアンとなったのもNY移住後である。
1978年 ニューヨークで、『パトリック・エルナンデス・レビュー』にダンサーとして出演。他にも数々の職に就く。この頃出演していた成人映画が有名になってからビデオで発売された。 2000年12月22日にスコットランドのドーノック大聖堂にて映画監督のガイ・リッチーと結婚したが、2008年10月15日にマドンナの広報リズ・ローゼンバーグが夫婦の離婚を正式に発表した。
1982年(24歳)
* マーク・ケイミンズの仲介で、ワーナーブラザーズ・レコード傘下のサイアー・レコードと契約。その契約内容は、5000ドルと一曲ごとの印税に出版料として1000ドルを支払うというもの。
* そして10月、シングル『Everybody』で歌手デビュー。ビルボードのダンス・クラブ・プレイ・チャートでいきなり最高3位を記録する。
* 続く『Physical Attraction』もニューヨークのクラブでヒット。なお、メジャーデビュー前の楽曲は『Early Years』などのタイトルで非公式に発売されている。
1983年(25歳)
* 1stアルバム『バーニング・アップ(原題:Madonna)』を発表。全米で400万枚、全世界で800万枚という成功を収めた。
* アルバムからは計5曲がシングルカットされ、『Holiday』や『Lucky Star』などがヒット。『Holiday』はイギリス・チャートトップ10に入り、その後ワールドツアーで歌われる定番曲になった。
* 音楽性は白人としては珍しくディスコ・ソウルであり、その後もゴスペルやR&Bなどのブラックミュージックの要素を持っている。歌唱力は高い方ではないが、キュートでキャッチーな歌唱はライバル視されたシンディー・ローパーらと共にミュージックシーンに大きなインパクトを与えた。
1984年(26歳)
* 2ndアルバム『ライク・ア・ヴァージン』を発売。全世界で2000万枚、全11ヶ国でチャートNo.1を獲得する。
* アルバムからの1stシングル『Like A Virgin』もメガヒットを記録。Madonna(マドンナ)にとって初のNo.1シングルで、全米チャート6週連続No.1を記録。全世界11ヶ国でNo.1を獲得し、一躍スーパースターの仲間入りを果たした。
* プロモーションビデオやステージにおける過激なパフォーマンス、そしてファッションなどが社会的な反響を巻き起こした。「マリリン・モンローの再来」などと言われ、全世界のセックス・シンボルと呼ばれる(なおMadonna(マドンナ)はモンローと反対側(右側)の口元にほくろがあることもモンローと比較される一因だったが、1990年代半ばにほくろを除去したとみられる)。
* 全米でMadonna(マドンナ)のセクシーなファッションを真似たWannaBe's(ワナビーズ)という少女たちが急増し、PTAは難色を示した。しかしMadonna(マドンナ)の人気が衰えることはなかった。
1985年(27歳)
* 1月には、アルバムのプロモーションを兼ねて初来日。当時の人気音楽番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)に出演し、『Like A Virgin』を披露。日本でも同曲がヒットチャート上位にランクインした。
* 同アルバムからのヒット曲『マテリアル・ガール』(物質至上主義・拝金主義的な女性という意味)はMadonna(マドンナ)自身の代名詞ともなったが、彼女自身の人間性を表したものではない。非道徳的・反社会的な存在と見られがちだったが、社会貢献活動(特にエイズへの啓蒙活動など)には熱心である。
* 7月、「ライヴエイド」に参加。アメリカ・フィラデルフィアのJFKスタジアムからの出演で『Holiday』・『Into The Groove』・『Love Makes The World Go Round』の3曲を熱唱した。
* 主演映画『マドンナのスーザンをさがして』も公開された。
* 8月16日、Madonna(マドンナ)27歳の誕生日に俳優のショーン・ペンと結婚。
同年、雑誌『PLAYBOY』に1979~80年にNYで撮影されたといわれているモデル時代のヌード写真が掲載された。
* 1986年の 1月には夫のショーン・ペンとの共演する映画「上海サプライズ」の制作を始める。そのためロンドンのヒースロー空港に到着した二人だが、集まったパパラッチの騒動の中、カメラマンが、夫妻の乗るリムジンにぶつけられるという珍事が起こる。
3月には第12回ピープルズ・チョイス・アワードで「最も人気のある女性音楽パフォーマー」に選ばれる。4月にはアルバム『トゥルー・ブルー』からの先行シングルである「リヴ・トゥ・テル」が発表される。当時この曲はショーン・ペンの主演映画「At Close Range」の主題歌でもあった。
6月には全米第一位に輝く。6月18日には第二弾シングル「パパ・ドント・プリーチ」が発表される。当時アメリカ社会で問題になっていた10代の妊娠について書かれたこの曲は社会政治団体を巻き込んだ論争となる。30日には「パパ・ドント・プレーチ」のヴィデオと共に 3rdアルバム『トゥルー・ブルー』が発売される。全曲の作詞やプロデュースを担当し、高いアーティスト性を発揮し始めた。全世界28ヵ国で1位を記録する大ベストセラーになり、1988年の『ギネスブック』にも認定された。
9月には第三回MTV Video Music Awardsでヴィデオ・バンガード・アワードを受賞される。同じく9月には映画「上海サプライズ」が公開されるが、批評的そして商業的にも不発に終わる。
12月にはチャート第一に輝いた「オープン・ユア・ハート」が発表。フランスの映像の奇才、ジャン・バプティスト・モンディーノによるヴィデオが話題になる。
* 1987年の 1月には、第14回アメリカン・ミュージック・アワーズで「パパ・ドント・プリーチ」が「最も人気のある女性アーティストによるヴィデオ」を受賞する。2 月には「オープン・ユア・ハート」が全米チャート第一位に輝く。ローリング・ストーン誌の第11回読者投票により、最優秀女性アーティストそして最もセクシーな女性アーティストに選ばれる。3月には第13回ピープルズ・チョイス・アワードで「最も人気のある女性音楽パフォーマー」に選ばれる。4月には「フーズ・ザット・ガール・ツアー」のリハーサルが始まる。5月には「ラ・イスラ・ボニータ」が全米チャート第四位に上る。6月にはアメリカの人気番組「ジョニー・カーソン・ショー」に出演、Madonna(マドンナ)初のトーク・ショー出演であった。そして初のワールドツアー「フーズ・ザット・ガール・ツアー」を敢行。 6月14日にMadonna(マドンナ)が日本公演のため2度目の来日を果たし、大阪に到着。2万5千人にも上るファンが空港にMadonna(マドンナ)を迎え入れ、千人の警官が動員されるという大騒動になった。いわゆる「マドンナ旋風」が巻き起こった。東京の後楽園スタジアムでのコンサートは台風のため中止、これに落胆したファン達が暴動化するなどの騒ぎが起こった。その後ツアーは全米を回り、ヨーロッパで9月に完結する。7月には彼女主演の映画のサウンドトラックである「フーズ・ザット・ガール」が発表される。映画は8月に発表されるが、またしても不発に終わる。それとは反対にアルバムからは、全米チャート第一位に輝いたタイトル曲を含め、「コモーション」がそれぞれ大ヒットする。10月にはアメリカのフォーブ誌で年間最も稼いだ女性エンターテーナーとして掲載された。11月にはリミックス・アルバム「ユー・キャン・ダンス」を発表。すでにこの時期にはMadonna(マドンナ)とショーンの結婚は陰りを見せ始めており、Madonna(マドンナ)はロスの最高裁判所に最初の離婚届をだす。この離婚届は12月にマドンナ自身により破棄された。
* 1989年には4thアルバム『ライク・ア・プレイヤー』を発表する。同名のファーストシングルのプロモーションビデオで十字架を燃やすなどの大胆な演出を用い、世界的な宗教上の議論を巻き起こした。交際が噂されたプリンスとのデュエット曲も含む。同年、ペプシコーラ社との間で、コマーシャル出演料として6億円の契約を結ぶ。
1990年(32歳)
* アルバム『アイム・ブレスレス』からの2ndシングル『ヴォーグ』が、プロモーションビデオの振り付け(ヴォーキング)が流行して590万枚以上を記録する大ヒットに。同年、初のベストアルバム『ウルトラ・マドンナ~グレイテスト・ヒッツ(原題:The Immaculate Collection)』を発売。今なお、世界中で驚異的に売れ続け、ロングセラーとなっている。
* 更に、同年2度目のワールドツアーとなる「ブロンド・アンビション・ツアー」を敢行。前回と同様日本からスタート。オープニングからのコーンの形をしたブラが個性的な衣装として話題となった。
1991年(33歳)
* シングル『Justify My Love』のプロモーションビデオは過激な性的表現が多い上、『聖書』を冒涜するシーンがあるとして放送禁止になった。映画『ディック・トレイシー』で共演した俳優ウォーレン・ベイティとの交際を公にしていた。
* ブロンド・アンビション・ツアーの舞台裏などを過激に綴ったドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』が公開される。
1992年(34歳)
* 1992年に米タイム・ワーナーと6000万ドルで契約。この契約により総合エンターテイメント企業「MAVERICK」を設立し、社長に就任する。
* 写真集『SEX』、6thアルバム『エロティカ』を同時発売。アルバムは実際には過激な内容の曲はごく一部で、エイズ渦を取り上げた『In This Life』をはじめ社会性・精神性の高い曲が多いのだが、イメージ先行が災いしてか売上は伸び悩んだ。ただし日本では史上最多4度目の日本ゴールドディスク大賞洋楽部門アーティスト・オブ・ザ・イヤーに輝くヒットとなった。
* さらに、映画『ボディ』(Body of Evidence)の主役を演じる。腹上死をテーマにした映画で、キャッチコピーは「セックスで人を殺せるか」。前年に公開されたシャロン・ストーン主演の映画『氷の微笑』と内容が酷似しており、評判は最悪、興行収入も惨憺たるものだった。
1993年(35歳)
* 3度目のワールドツアー「ザ・ガーリーショウ・ツアー」を敢行。初の南米ツアーも実施、アメリカやヨーロッパ以外での諸国でも公演が行なわれた。最終公演は日本で(福岡・東京)開催され、計8公演で約40万人を動員する。 * シングル『Rain』のPVがMTV Video Music AwardにてBest Art Direction部門とBest Cinematography部門を受賞した。
1994年(36歳)
* 3月に放映されたテレビ『デヴィッド・レターマン・ショウ』に出演した折、不敬な俗語を13回も連発、世間の大きな非難を浴びた。しかし、この一連の失敗が彼女に「脱セックスシンボル」を意識させるようになる。 * 10月、7thアルバム『ベッドタイム・ストーリーズ』をリリース。プロデューサーにはベイビー・フェイスを起用。バラード『Take A Bow』は自身最長となるビルボードHOT100で7週連続No.1を記録する大ヒットに。
1995年(37歳)
* 日本では宝酒造の焼酎「純」のCMに出演していた。このCMのみで使われたオリジナル楽曲があった。 * 2枚目のベストアルバム『Something To Remember』をリリース。自身初となるバラードソングだけを集めた作品で、Madonna(マドンナ)の新たなイメージを見せつけるきっかけとなった。本作品には、全米No.1を記録した『This Used To Be My Playground』やマーヴィン・ゲイのカバー曲『I Want You』も収録されている。売り上げは、全世界で820万枚を記録。 * MTV Video Music Awardでシングル『Take A Bow』のPVがBest Female Video部門を受賞。 * さらに、アルバム『ベッドタイム・ストーリーズ』はこの年のグラミー賞にノミネートされた。
1996年(38歳)
* 長年にわたって熱望していたミュージカル映画『エビータ』の主演を射止める。アルゼンチンなどで炎天下の中での過酷な撮影が行なわれ、総制作費60億円の超大作が完成した。 * 10月14日、待望の第一子が誕生する。名前は、ローデス・マリア・チッコーネ・レオン。ロスで知り合ったパーソナル・トレーナーのカルロス・レオンとの間に出来た長女である。
1997年(39歳)
* 映画『エビータ』でMadonna(マドンナ)の女優としての成果がついに認められ、この年のゴールデン・グローブ賞のミュージカル・コメディー最優秀女優部門を受賞する。さらに、最優秀オリジナル主題歌部門など計3部門を受賞。1998年(40歳)
* テクノやエレクトロニカを取り入れた8thアルバム『レイ・オブ・ライト』をリリース。全世界で1700万枚ものセールスを売り上げる大ヒットに。娘をもうけたことや、ヨガなどのインド文化に傾倒した影響で、実質的に脱セックスシンボルが成功したのはこの時期だと言える。またこの頃からカバラの信仰に傾倒する。 * 同年のMTV Video Music Awardで計6部門を受賞する快挙を成し遂げる。ジョナス・アカーランドが監督を務めたシングル『Ray Of Light』のPVは一日を早送りで見せるという斬新的なものに仕上がり、話題を呼んだ。<受賞部門>
* Video of the Year
* Best Female Video
* Best Direction
* Best Editing
* Choreography
* Special Effects(シングル『Frozen』)
1999年(41歳)
* アルバム『レイ・オブ・ライト』が自身初となるグラミー賞で4部門を受賞する快挙を成し遂げる。そのオープニング・アクトでは赤い着物を着て『Nothing Really Matters』を披露し話題となった。
<受賞部門>
* Best Pop Album
* Best Short Form Music Video
* Best Recording Package for Art Director Kevin Reagen
* Best Dance Recording
* 映画『オースティン・パワーズ:デラックス』の主題歌として『Beautiful Stranger』をリリース。PVでは、主演のマイク・マイヤーズとの豪華共演も果たしている。
2000年(42歳)
* 映画「2番目に幸せなこと」の主題歌「アメリカン・パイ」が世界中で大ヒット。
* 9thアルバム「ミュージック」を世界同時リリース。アメリカを含め、世界15ヶ国で初登場No.1を記録する。
* さらに、1stシングル『Music』は1995年の『Take A Bow』以来となる全米No.1を記録。売り上げは620万枚を記録、マドンナの代表的ダンスソングとなる。
* シングル『Beautiful Stranger』が、グラミー賞で最優秀主題歌部門を受賞する。
* 8月11日、第二子を出産。名前は、ロッコ・リッチー。現在の夫でもあるイギリス人映画監督ガイ・リッチーとの間に出来た長男である。これで、マドンナは2児の母となる。
* 12月22日、マドンナはガイ・リッチーとスコットランドにあるスギボ城で結婚。マドンナにとってはこれが2度目の結婚となる。
2001年(43歳)
* 2月、ロサンゼルスのステープルズ・センターで開催されたグラミー賞のオープニングで『Music』を披露。スクリーンには過去のマドンナの映像がミックスされたビデオが流され、Madonna(マドンナ)はリムジンで登場。金髪のウィッグと黒の衣装で観客を魅了した。
* 5月、通算4度目のワールドツアー「ドラウンド・ワールド・ツアー」がスペインからスタート。久々のツアーだったため、全世界でこのツアーの話題で盛り上がった。。デトロイト公演(8月26日)は日本ではWOWOWで生中継された。
* 3枚目のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ VOL.2』リリース。1992年~2000年までの大ヒットシングルを15曲集めた90年代を総括する一枚となっている。
2002年(44歳)
* 『007/ダイ・アナザー・デイ』の主題歌『Die Another Day』がリリース。全米ビルボードHOT100で、通算35曲目となるTOP10入り(最高7位)を果たし、34曲という記録を持つビートルズを抜いた。これで、あと残りはエルビス・プレスリーの38曲を超えるのみとなった。
* 映画『スウェプト・アウェイ』が公開されるが、大コケ。イギリスでは劇場公開されないままDVDでの発売に至ってしまった。
2003年(45歳)
* 4月、記念すべき10thアルバム『アメリカン・ライフ』をリリース。反戦を主張する過激なビデオ・クリップが議論を巻き起こし、折しもイラク戦争が開戦するというタイミングの悪さで、アメリカ国内でのラジオ局によるオンエアボイコットという事態にまで発展した。
* 8月、MTV Video Music Awardsでブリトニー・スピアーズ、クリスティーナ・アギレラと共演、2人とディープキスする過激なパフォーマンスで話題を呼んだ。
* 9月、初の児童書となる『イングリッシュ・ローズィズ』が世界100ヶ国以上、37ヶ国語に翻訳される『ハリーポッター』シリーズをしのぐ出版規模で、ニューヨークタイムズのベストセラーリスト(児童書部門)でNo.1を獲得する大ヒットに。
2004年(46歳)
* 3年ぶりとなる5度目のワールド・ツアー「The Re-Invention Tour」が5月24日にロサンゼルス・グリート・ウェスタン・フォーラムを皮切りにスタートした。これまでのキャリアを回顧する構成で、全56公演中55公演を完売させ、トータル1億2500万ドル(約130億円)の収益を記録。この年のツアーの中でNo.1の収益となった。
* 12月にはイギリスのミュージック・シーンに多大な影響を及ぼしたアーティストとして"Music Hall of Fame"(音楽の殿堂)に殿堂入りを果たす。
* 彼女が設立したMaverick Recordsは、アラニス・モリセット、ミシェル・ブランチといったスターを送り出し成功を収めたが、財政難から2004年に親会社ワーナー・ブラザーズに売却された。なおマドンナ自身の作品は前年の『アメリカン・ライフ』以降、Maverickを介さずワーナー・ブラザーズから発売されている。
2005年(47歳)
* スマトラ島沖地震・津波のチャリティ番組"Tsunami Aid:A Concert of Hope"に出演。Madonna(マドンナ)はロンドンから出演し、ツアーでも歌ったジョン・レノンの『イマジン』を披露する。7月、世界9ヵ国で開催された「LIVE 8」でロンドン会場に出演。『ライク・ア・プレイヤー』『レイ・オブ・ライト』『MUSIC』の大ヒット曲3曲を披露した。
* 8月16日、 47歳の誕生日に記念としてプレゼントされた新しい馬にロンドン郊外のウィルトシャー州にある自宅の敷地内で乗馬していたところ、落馬。病院に運ばれたがその日のうちに退院。鎖骨と手首を骨折、肋骨3本にひびが入る全治3ヶ月と診断された。重傷にもかかわらずアルバム発売の予定を遅らせず精力的に活動。
* 「Re-Invention Tour」の模様やプライベートなどを収めた14年ぶりのドキュメンタリー作品『I'm Going To Tell You A Secret』を制作。10月に米MTVで初OAされた。
* 11月、11thアルバム『Confessions On A Dance Floor』を発売。全曲がノンストップのダンスチューンで構成され、ファーストシングル『Hung Up』は、ABBAの名曲『Gimme Gimme Gimme』をサンプリングしリリース前から話題を呼ぶ。日本では同アルバムが日本テレビ系列の『ドラマ・コンプレックス』とタイアップし、アルバムの全曲が週替わりで主題歌に起用される。特に11月8日放送で使われた『Future Lovers』は世界初OAとなった。
* 11月3日、ポルトガル・リスボンのアトランティック・パヴィリオンで開催された「MTV Europe Music Awards 2005」のオープニングでMadonna(マドンナ)は新曲『Hung Up』を初パフォーマンス。生歌で、47歳とは思えないキレのあるダンスパフォーマンスで会場に興奮の渦が巻き起こった。
* シングル『Hung Up』が米ビルボードHOT100でTOP10入りを果たし、全米TOP10シングル36曲を保持しているエルビス・プレスリーに並んだ。売り上げは、自身最高となる全米で870万枚を記録。
* 12月5~9日、アルバムのプロモーションのために1993年以来となる通算5度目の来日を果たす。プロモーション来日としては1985年以来、実に20年ぶりとなる。記者会見、Stadio Coastでのクラブイベント、『めざましテレビ』の単独インタビュー、『SMAP×SMAP』の収録を行った。
2006年(48歳)
* 2月8日、米ロサンゼルスにあるステープルズ・センターで開催された第48回グラミー賞のオープニングでアニメキャラクター4人で構成されたヴァーチャル・バンド、ゴリラズとマドンナが共演。開催前から、この共演が大きな話題を呼んだ。Madonna(マドンナ)は、『Hung Up』を披露、ジャン・ポール・ゴルチエがデザインした薄紫色のレオタード姿で貫禄のパフォーマンスを見せつけた。
『Confessions Tour』(2006年5月23日、ロサンゼルス)
* グラミー授賞式の後にロサンゼルスの病院に入院。ヘルニアの手術を受けた。症状は軽く、日頃からダンスやヨガで鍛えてるため回復も早かった。
* 11thアルバム『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』が全世界40ヶ国でアルバムチャートNo.1を獲得。ポップ・ミュージック史上、No.1最多獲得国数という新記録を樹立させた。更に、1stシングル『Hung Up』も全世界41ヶ国でシングルチャートNo.1を獲得し、アルバム&シングル共にNo.1最多獲得国数という新記録を樹立させた。
* 5月、通算6度目となる2年ぶりのワールドツアー「Confessions Tour」が2006年5月21日のロサンゼルス公演を皮切りにスタートする。北米を廻ったあと、欧州、そして9月には13年ぶりとなる日本公演が東京と大阪で行われた。特に東京公演の2日目は本ツアー最終公演となり、前日の公演の評判を聞きつけた観客が当日券販売に並び、ステージセットの柱等でステージが見えにくい見切席にもお客が入る程の大盛況ぶりで、公演も大いに盛り上がり、ツアーの最終公演を飾った。
* 7月、1991年公開のドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』以来、15年ぶりとなるドキュメンタリー映画第2弾『アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット』がリリースされた。マドンナ初のDVD&CDの2枚組セットでのリリースで、世界各国で大ヒットしている。
* 8月23日、日本だけの来日記念盤として『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア~Japan Tour Edition』がリリース。オフィシャルとしては初の『Hung Up』&『Sorry』のPVとそのメイキング映像を収録したDVDが付いた2枚組。同時に、1990年代~2000年前半にかけてリリースされたアルバムが限定生産として再リリースされた。
* 9月14日、Madonna(マドンナ)が2005年12月以来の9ヶ月ぶりに来日を果たす。関西国際空港には約1000人のファンと報道陣が朝から集まり、マドンナを歓迎した。
* 9月16,17日に京セラ大阪ドームで公演。大阪でのコンサートは、1987年の「Who's That Girl Tour」の大阪球場(当時)以来、実に19年ぶり。2日間の大阪公演で約6万人を動員した。オークション形式で販売された特別席は初日に最高41万円の価格が付きワイドショーなどでも報じられた。
* 9月19日夜、ルイ・ヴィトン六本木店で開催されている写真家スティーヴン・クレイン&マドンナのコラボ「X-STaTIC PRO=CeSS」のオープニング・ゲストとしてMadonna(マドンナ)本人が登場。見に来ていたお客や報道陣からは、大歓声が沸き起こった。ちなみにMadonna(マドンナ)はその場でショッピングも楽しみ、サングラスとレザージャケットを購入(お値段はサングラス6万4千円、ジャケットが54万5千円、税抜き価格)。翌日のワイドショー系番組で話題になった。
* 9月20,21日に東京ドームで公演。東京ドーム公演は1993年の「Girlie Show Tour」以来、実に13年ぶり。初日は、全国各地から4万5000人のファンが東京ドームに集結した。東京初日の公演では大阪と同様、特別席はなんと 50万円の値が付き話題を呼んだ。Madonna(マドンナ)はステージからフロアへ降りファンと握手したり、名曲『レイ・オブ・ライト』ではダンサーがヒーロー戦隊のお面を被って踊ったり(マドンナ本人も知らなかった)、「Japanese Do It Better」とプリントされたTシャツでパフォーマンスしたりと最終公演は大いに盛り上がった。
* 10月4日、マドンナは自家用飛行機でアフリカ南部のマラウイの首都リロングウェに到着。目的は、エイズ孤児を支援するため500万ドルの慈善事業を展開し、その進展状況を視察するため。この慈善事業で、300万ドル(3億5400万円)をかけ、リロングウェ郊外に約1000人の孤児を収容できる孤児院を設立する計画を立てている。更にMadonna(マドンナ)はデヴィッド・バンダ君(1歳)を養子に迎え、マラウイの高裁は養子縁組の仮決定を出した。これで、長女と長男と合わせ、3児の母となる。しかし、これらについてマドンナ養子縁組問題として全世界で論争を巻き起こす。
* 2007年度版の『ギネスブック』でMadonna(マドンナ)は「地球上で最も稼いだ女性シンガー」として認定された。これまでの記録は、2000年にブリトニー・スピアーズが稼いだ3,800万ドル(約45億円)が最高だったが、2004年に5,000万ドル(約59億円)を稼いだMadonna(マドンナ)がタイトルを奪い取った。
* 映画『プラダを着た悪魔』のイメージソングとして『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』のナンバー『Jump』が起用された。更に、1990年の『Vogue』がオリジナル・アルバム以外では初となるサウンドトラックに収録されている。
* 11月、「コンフェッションズ・ツアー」のロンドン公演の模様が米・NBCテレビで放映された。日本では12月30日にWOWOWが放送した。
2007年(49歳)
* 1月下旬に、ライヴDVDとしては通算4枚目となる『コンフェッションズ・ツアー・ライヴ』(DVD+CD)がリリースされた。
* 東京・有明に大規模マンション『ブリリア・マーレ有明』が開発されるのに合わせ、広告キャラクターにMadonna(マドンナ)を起用する。プロジェクト名は『STYLE MADONNA TOKYO ARIAKE』でMadonna(マドンナ)の名前が入っている。
* 2月11日(現地時間)、ロスで開催された第49回グラミー賞にて『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』が最優秀エレクトロニック/ダンス・アルバム部門を受賞した。他にノミネートされていた最優秀ダンス・レコーディング部門(ゲット・トゥゲザー)と最優秀・長編ミュージック・ビデオ部門(アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット)は惜しくも受賞を逃した。
* 3月19日付のオリコン・アルバムチャートで『THE CONFESSIONS TOUR』が初登場10位を記録。これで日本でのTOP10作品は17作となり、ビートルズのアルバムTOP10獲得作品数と並び歴代タイに。
* 4月16日、デイヴィット君と長女ローデスちゃんと共に2度目のマラウイを訪問した。今回は、子供の医療施設の建設などのチャリティ活動の手伝いのために訪問した。
* Madonna(マドンナ)の初監督作品『Filth and Wisdom』の撮影が進んでいる。ショートムービーで、7月のレコーディングに戻る前に完成させる予定だとのこと。
* 5月中旬にはダウンロードのみの新曲『Hey You』を発表。ファレル・ウィリアムスとの共同プロデュースでアコースティック調の壮大なバラード曲に仕上がっている。
* 7月7日に地球温暖化への興味を高めるために世界7都市で同時開催された『ライブ・アース』に出演。イギリス会場のトリを務め、『Hey You』をはじめ『Ray of Light』・『La Isla Bonita』・『Hung Up』の4曲を披露。ギターパフォーマンスを披露するなど観客は熱狂に包まれた。
* 米経済誌「フォーブス」のウェブサイトが発表したミュージシャン長者番付でマドンナが第3位にランクイン、7200万ドル(約82億7000万円)を稼ぎ出した。
* 10月には、デビュー満25年を迎えた。
* 10月16日、米国の最大手コンサートプロモーション会社ライブ・ネーションと10年間の包括的契約(アルバム3枚の発売・ライブツアー・商標権等)を締結。報道では1億2000万ドル(約140億円)の契約金と同社の株式を受け取るとされる。25年にわたって所属したワーナー・ミュージック・グループを去ることになる。近年はレコード業界全体の売上が低迷する一方、マドンナらベテランアーティストがツアーで商業的に成功する例が目立ち、音楽業界の構造が変化している。過去に例がない今回の大型契約はその潮流を反映するものとして注目を集めている。
* 12月13日、Madonna(マドンナ)の「ロックの殿堂入り」が決定した事が殿堂の運営団体から発表された。授賞式は2008年3月10日に行なわれ、プレゼンターはジャスティン・ティンバーレイクが務めた。
2008年(50歳)
* 16日、5月スタートの月9ドラマ「CHANGE」の主題歌をマドンナが担当することが発表された。制作側からダメモトでマドンナにオファーしたところ快諾。ドラマのために書き上げたという「Miles Away」を完成させた。ちなみに、マドンナがドラマ主題歌を務めるのは世界初のこと。ニューアルバム「ハード・キャンディー」に収録されている。 * 2008年4月29日には、通算12作目のオリジナル・アルバム『Hard Candy』がリリース予定。前回のディスコミュージックから一変してヒップホップ・アルバムになるとのこと。プロデューサーにはジャスティン・ティンバーレイク、ティンバランド、ファレル・ウィリアムスら豪華陣が揃い、話題を呼んでいる。ちなみに、本作がワーナーからの最後のオリジナルアルバムとなる。 * 4月20日付の全英チャートで、「4 Minutes」が通算13作目のNo.1を記録した。女性アーティストとしては、単独1位である。 * 『ハード・キャンディー』が世界36ヶ国でNo.1を獲得。世界40ヶ国でNo.1を獲得し世界新記録を樹立させた前作の『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』を越えるか注目されている。 * 8月23日から通算7度目のワールドツアー『Sticky & Sweet Tour』がスタート。初日はイギリスのカーディフ。 * 2000年12月22日にスコットランドのドーノック大聖堂にて映画監督のガイ・リッチーと結婚したが、2008年10月15日にマドンナの広報リズ・ローゼンバーグが夫婦の離婚を正式に発表した。
2009年(51才)
* 米ビルボード誌が発表した高所得者リスト「Moneymakers」によると、2008年の収入が2億4217万ドル(約220億円)に上ったことが判明した。その大半はワールドツアーの「Sticky & Sweet Tour」の収益によるもので、楽曲のセールスよりもコンサートによる収益の方が総収入においてはるかに割合を占めていることがわかった。
* 同年、9月30日(海外は9月28日)に彼女の全キャリアを総括したベストアルバム「セレブレイション~マドンナ・オールタイム・ベスト~」を発売する事が決定した。このベストは1枚単体での発売と2枚組での発売の同時発売が決定している。
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