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Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)

ナイン・インチ・ネイルズ(Nine Inch Nails)は、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドで結成されたインダストリアルバンド。トレント・レズナーを中心として活動、1989年にシングル「Down in it」でデビューを果たした。2007年までに5枚のアルバムと3枚のリミックス・アルバムをリリースしている。

その斬新かつ精密なサウンド・プロダクションやビジュアル・ワーク、過激なステージングは後進のアーティストに大きな影響を与えた。それまでアンダーグラウンド・シーンの一つであったインダストリアル・ロックをオーバーグラウンドに持ち上げたバンドの一つでもある。1993年と1996年にはグラミー賞のベスト・メタル・パフォーマーに選出された。

Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)のメイン・コンポーザーのトレント・レズナーは、活動の拠点としているアメリカでは絶大な人気と影響力を誇り、1997年のタイム誌が特集を組んだ「最も影響のある25人のアメリカ人」の一人に選出された事もある。

1988年 - 1991年

* Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)は1988年に活動を開始している。レズナーはアメリカ、オハイオ州のクリーブランドにあるインディペンデント・レーベル「ライト・トラック・スタジオ」にてデモレコーディングを行った。それは1994年に"Purest Feeling"と言うタイトルが付いた海賊盤となってリリースされた。そのデモを複数のレーベルに送り、その後TVTレコーズとの契約を結ぶ。

"Purest Feeling"に収録された楽曲にいくつかの新曲を加え、1989年に『プリティ・ヘイト・マシーン (Pretty Hate Machine)』がリリースされた。このアルバムはイギリス・ロンドンでレコーディング作業が進められた。この作業にてレズナーはエイドリアン・シャーウッドとの最初の共同作業を行った(この後、シャーウッドは2000年までしばしばNINの作品にクレジットされる事になる)。このアルバムは親しみやすいメロディーと内省的な歌詞、暗く美しいサウンドに彩られたアルバムとなった。「ダウン・イン・イット」と「ヘッド・ライク・ア・ホール」、「シン」がシングルカットされ、「シン」を除いた2曲のビデオ・クリップがMTVで頻繁に放送された。「シン」についてはその内容が過激すぎるために1997年のビデオ作品『クロージュア (Closure)』までその映像が公にされる事はなかった。

『プリティ・ヘイト・マシーン』は爆発的なセールスを記録する事はなかったものの、リリースから2年に渡ってビルボードにチャートインする息の長い作品となり、結果的に100万枚のセールスを挙げる事になった。

Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)は最初の北米ツアーをスキニー・パピー、ピーター・マーフィー(元バウハウス)、ジーザス&メリーチェインとともに行った。Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)の破壊的なステージングはこれまでのシンセサイザーを使ったバンドとはあまりにも異なるスタンスであったために、すぐに大きな噂となった。破れたジーンズを履き、綱紐を天井に引っ掛けて首や胴体に巻きつけて歌うパフォーマンスも行っていた。この頃は金がなかったため「代行料金をどう払えばいいんだ?」や「音楽を始めた頃、親父に買ってもらった機材のクソ古いケーブルをまだ使っていた」などの発言がある。1991年に「プリティ・ヘイト・マシーン」のツアーの一環として最初のロラパルーザに出演した。その後アメリカでガンズ・アンド・ローゼズのツアーに帯同するなど、その活動規模は徐々に大きなものになって行ったが、所属していたTVTレコーズによる作品への干渉が強くなり(「Front 242みたいになれ」などとレーベルから圧力をかけられていた)、Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)はTVTレコーズからの移籍を決意する。この移籍問題は裁判沙汰になり、裁判中のレコーディングが禁止された。しかしNINは別名を用いて『プリティ・ヘイト・マシーン』に続く作品のレコーディングを開始した。

1992年

* 1992年、6曲の新曲に2曲のボーナストラックを加えたEP、『ブロークン (Broken)』がTVTレコーズとの裁判が終了した後にリリースされた。この作品のインナー・スリーブに記されたライナー・ノーツによると、本作の激しいライブ感が溢れるサウンドは1991年当時のライブ・メンバーからの影響が大きいと言う。

このEPに収録された「ウィッシュ」はスロッビング・グリッスル、コイルのピーター・クリストファーソンによってビデオ・クリップが制作された。このEPからはシングルカットは行われなかったが、「ウィッシュ」の他に「ハピネス・イン・スレイヴァリー」、「ピニオン」のビデオが制作された。中でも「ハピネス・イン・スレイヴァリー」のビデオ・クリップの過激さは群を抜いており、作中でボブ・フラナガンというパフォーマンス・アーティストが、彼自身が横たわった機械に身体をえぐり取られて殺されてしまうと言う内容であった。当然ながらMTVなどでは放送される事がなかった。これらのビデオクリップは『ブロークン・ムービー (Broken Movie)』と呼ばれる、CDのプロモーションを目的とした短編映画の為に撮影された。内容が非常に過激であり、また本人たちがマスコミに騒がれる事を嫌って正式に公開される事はなかったが、海賊盤ビデオが出回っている。なお、ビデオ作品『クロージュア』において『ブロークン・ムービー』で使用された楽曲のビデオ・クリップを見る事ができる。

「ウィッシュ」のビデオ・クリップについては、1995年にライブ映像を使用したビデオ・クリップが再度製作され、MTVで放送されているのはこのバージョンになる。また「ゲイヴ・アップ」についても、後に『ザ・ダウンワード・スパイラル (The Downward Spiral)』がレコーディングされるラ・ピッグ・スタジオにてビデオクリップが製作された。このクリップには、マリリン・マンソンが登場している。

また、「ゲイヴ・アップ」には、『ブロークン・ムービー』のラストシーンを抜粋したバージョンのクリップがある。男が拷問されてチェーンソーで切り刻まれ、レイプされ、ナイフで滅多刺しにされた挙句加害者に臓物をむさぼられるという、「ハピネス・イン・スレイヴァリー」と並ぶ残虐な内容である。

『ブロークン』がリリースされた2ヶ月後に、唯一のフォローアップ作品となる『フィックスド (Fixed)』がリリースされた。ダニー・ハイド、J.G.サーウェル、ブッチ・ヴィグ(現ガービッジ)らをリミキサーとして起用し、ブロークンに収録されたいくつかの曲をリミックスした。

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1994年 - 1995年

* 1994年にはセカンド・アルバムとなる『ザ・ダウンワード・スパイラル』をリリースした。このアルバムはビルボード誌のチャートで初登場2位を記録し、NINの評価を決定的にする作品となった。2003年にローリングストーン誌が企画した「500 greatest albums of all time」の200位にランクインし、2005年のスピン誌が企画した「100 Greatest Albums, 1985–2005」の25位にランクインを果たした。

1995年には本作のリミックス作品となる『ザ・ファーザーダウン・ザ・スパイラル』をリリースした。この作品ではエイフェックス・ツイン、ジェーンズ・アディクションのギタリストであるデイヴ・ナヴァロ、有名プロデューサーのリック・ルービンらがリミックスを手がけている。

Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)はこのアルバムのフォロー・アップツアーとして「セルフ・ディストラクションツアー」と冠されたツアーを行った。このツアーの中で「ウッドストック 1994」に参加した。「ウッドストック 1994」は土砂降りの雨中でライブが行われた。泥まみれの観客が待つ中、バンドメンバーも泥まみれの姿でステージに登場したNine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)のパフォーマンスはNine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)のキャリアの中で最も有名なエピソードの一つとなった。

「ライブの直前はいつも吐きそうな気分だった、それは本当にナーバスな日だった。ステージに向かう途中で俺がDannyを押したら、奴は顔から泥に突っ込んだんだ。で、奴が俺にタックルしてきて、それは男だけの泥レスリングみたいなのに変わった。それをやった後、不安はすっかり消えたんだ。」と言っている。

Trentの愛犬、ゴールデン・レトリバーのMaiseが3階から落下して死亡。

1996年 - 1997年

* 1996年にはPCゲームQuakeのサウンドトラックをリリースした。ただしこのサウンドトラックはトレント・レズナーの個人名義で作成されている。

1997年にはデヴィッド・ボウイのシングル「I'm Afraid of Americans」のリ・プロデュースを務めた。この楽曲のビデオ・クリップにはボウイのストーカーとしてトレント・レズナーが出演している。

また、デヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』のサウンドトラックのプロデュースを行った。このサウンドトラックには「ザ・パーフェクト・ドラッグ」が収録された。この曲は後に5曲のリミックス作品を収録したシングルとなってリリースされた。

同年11月に初の公式な映像作品となる『クロージュア』がリリースされた。この作品はVHS二本組となっており、「Tape 1」と銘打たれた方には1994年から1995年にかけて行われた「セルフ・ディストラクト・ツアー」の模様を、「Tape 2」と銘打たれた方にはデビュー当時から1997年の間に製作されたプロモーション・ビデオが収録された。

また『クロージュア』のDVD化の話が出ていたが、前マネージャージョン・マルムとの金銭問題(ナイン・インチ・ネイルズの売上20%を不正に搾取していた)などでジョン・マルムが『クロージュア』の映像著作権の一部を保有してるためリリースできず、2006年にトレント・レズナー本人が(自分のPCに不正アクセスがあり、データがリークされてしまったため)意図的にネットのP2PにDVDデータを流出させている。このデータはBittorrentなどでダウンロードできる。

1999年 - 2004年

* 1999年の9月に2枚組アルバム『ザ・フラジャイル(The Fragile)』がリリースされた。このアルバムはリリースされた最初の週にビルボードチャートで一位を獲得したが、翌週にはビルボードのトップ10から脱落した。そのために予定していたアルバムリリース後のツアーに必要な経費は、トレント・レズナーのポケットマネーから捻出することとなった。

このアルバムからの先行シングル「ザ・デイ・ザ・ワールド・ウェント・アウェイ(The Day The World Went Away)」のカップリング曲として収録されていた“スターファッカーズ・インク(Starfuckers'Inc)”の歌詞が当時の音楽シーンに対する痛烈な批判と言われ大きな話題となった。“スターファッカーズ・インク”の内容にはマリリン・マンソンに対する批判も含まれていた。マリリン・マンソンは『ザ・フラジャイル』がリリースされた際に批判的なコメントを出しており、トレント・レズナーとマリリン・マンソンの不仲は続いているものと思われていた。しかし“スターファッカーズ・インク”のビデオ・クリップにマリリン・マンソンが出演したことで和解が表明された。

バンドは2000年より「Fragility」と銘打たれたツアーに出る。このツアーはまずはヨーロッパと日本で行われた。そのツアーが一旦終了した後に『ザ・フラジャイル』のリミックス・アルバムとなる『シングス・フォーリング・アパート(Things Falling Apart)』がリリースされた。その後にバンドはアメリカツアーを行い、そのツアーの様子を収めた『アンド・オール・ザット・クッド・ハヴ・ビーン(And All That Could Have Been)』をリリースした。『アンド・オール・ザット・クッド・ハヴ・ビーン』はVHS、DVD、CDの形態でリリースされた。CD盤には初回生産限定盤に『Still』が附属された。なお、『Still』は後に単体でリリースされたが、日本盤はリリースされていない。

2004年、トレント・レズナーがミュージック・コンサルタントを務め、テーマ曲に起用された『ザ・フラジャイル』収録の「ザ・マーク・ハズ・ビーン・メイド」など6曲を提供したトニー・スコット監督の映画『マイ・ボディガード (Man On Fire)』が公開された。

2007年 - 2008年

* 2007年リリースのアルバム『イヤー・ゼロ (Year Zero)』がオーストラリアで法外な値段で売られていることにレズナーが憤慨し、固定ファンから搾取しようとするレコード会社のやり方を痛烈に批判。これをきっかけに作品のリリース形態に新しい試みを取り入れていく。

まずはレズナーが制作に携わったソウル・ウィリアムズのアルバム『The Inevitable Rise And Liberation Of Niggy Tardust』を購入者が値段を$0か$5かを選べる方法でダウンロード・リリース。しかしこの試みはレズナーの思惑通りには行か無かったようで、有料ダウンロードが全体の僅か18.3%であったことにレズナーは落胆した。

しかしレズナーはこれにめげず、今度は自身の新作『Ghost I-IV』を全36曲中9曲は無料、残り27曲は$5でダウンロードでき、さらに2枚組のCD ($10)、DVD付きのデラックス・エディション ($75)、レズナーのサイン入りのウルトラ・デラックス・ヴァージョン ($300)をラインナップ。続く『The Slip』に至っては全曲を無料で配布した。

『ザ・フラジャイル』収録の「ジャスト・ライク・ユー・イマジンド(Just Like You Imagined)」がザック・スナイダー監督の映画「300」の予告編テーマソングに使用された。

2009年

* * 2月16日、公式サイトにて、年内の世界ツアーを最後にNINとしての活動を終了するとのコメントを発表した。

* 日本でNine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)としてのライブを見られるのは、2009年8月7日(金)のサマーソニック(東京公演)ならびに2009年8月8日(土)(同大阪公演)が最後となる。

東京公演では、“Somewhat Damaged”に始まり“Frail”の終盤で小雨が降り始め“Im Afraid American”以降は豪雨と雷に変わり“Hurt”が始まると同時に静けさを取り戻し、ライターが焚かれるという奇跡的な天候となった。

* 4月1日、エイプリルフールでアルバム「Strobe Light」を発表。内容はメインストリームのR&BとRapのプロデューサーとゲストを迎えたもの。実際に発売されることはない。

* Webby Awardsを受賞。他の受賞者はtwitter.comなど。

* NIN.comで、瀕死状態の重病人のEricさんへの寄付をファンに呼びかけたところ1日で542,212ドルが集まり寄付されたが、2009年7月6日にEricさんは亡くなってしまう。

* 『ザ・フラジャイル』収録の「ザ・デイ・ザ・ワールド・ウェント・アウェイ(The Day The World Went Away)」がマックG監督の映画「ターミネーター4 」の予告編テーマソングに使用された。

* NIN.comのファンから未発表曲を溜め込んでいるのかについての質問で、プリンスとウィーザーのリヴァース・クオモについて。

「俺は、プリンスやリヴァース・クオモじゃない。素晴らしいトラックが山ほどあるって誇示するようなタイプじゃね。プリンスよ、素晴らしい曲が百も千もあるんなら、そこからいくつか選んでアルバムに収録すればよかったじゃないか。だって、ここ何枚かはひどいもんだったからな。リヴァース、お前もだ」

* 『Spinner.com』でのコメントでマリリン・マンソンについて。

「奴は嫌なやつだ。成功のためなら誰だって踏みつけるし、道徳の一線なんてのも超えるだろうよ。奴も今じゃ、ドラックとアルコールに支配されたラリッた道化」

* 8月23日のNewYork公演、9月2日のLA公演で、アルバム『ザ・ダウンワード・スパイラル(The Downward Spiral)』が、ライブのセットリストの曲順として完全に再現された。

音楽的特徴

* Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)の音楽を一言で表すのは難しい。NINの音楽的な特徴として「Wish」で聴く事の出来る、インダストリアルの重たく、騒々しいサウンドが一般的なイメージとして捉えられているが、その捉え方はあまりにも表面的すぎると言える。例えば「Down in it」は1980年代のエレ・ポップからの影響を受けている。その一方で「Hurt」に代表される、切なく美しいメロディを特徴とする繊細な曲も多い。

Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)のバンドイメージもあり、万人には音楽も難解だと思われがちだが、多くの曲に口ずさめるような判りやすいメロディーがあり、それぞれの楽曲の構成は非常に判りやすい。影響を受けたバンドとしてクイーン、ピンク・フロイド、キッス、デペッシュ・モード、ジョイ・ディヴィジョン、ミニストリー、スキニー・パピー、パンテラ、デヴィッド・ボウイ、エイドリアン・シャーウッド、ブライアン・イーノ、クロノス・クァルテット、キリング・ジョーク、ザ・キュアーという情報がある。

楽曲のテーマとなっているのは一貫して「怒り」「渇望」であり、自らの内側からのインスピレーションにこだわり続けた憂鬱なサウンドは、暗く、圧倒的な存在感を放っていた。近年はレズナー本人のメンタル面の安定や成長もあり、以前の様な陰鬱さは抑えられている。また制作活動におけるインスピレーションが内側から外側の出来事に変わって来た事もあって表現方法に変化が現れている。それは2005年にリリースされたアルバム『ウィズ・ティース』で聞く事ができる。

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